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私の花との人生は働く母に憧れた事に始まりました。
そして、「自分の花」を探し、大きな壁を行動で乗り越えながら模索してきた日々。
今、ようやく見つけた私の花。
それは「大きなドラマチックフラワー」です。

小学3年生の時。
それまで専業主婦だった母が働き始めました。
家庭にいた時より楽しそうな母。資格を取得し、業績を残し。
常にチャレンジをしながら働く母に私はとても憧れ、私も「自分にしか出来ない事を仕事にしたい」と強く思う様になりました。

しかし、特に得意な物があるわけでもなく、何がしたいのかもわかりませんでした。
私は目的の無いまま某サッシメーカーに就職しました。

当時、私は同期の中でもやりがいのある仕事をやらせていただきました。
図面を読み、サッシを手配し。取引先の工務店や工場に連絡し、交渉をしたりするのが主な仕事でした。
働きながら図面を勉強し、社内外の色々な方と関わりをもてる仕事にとてもやりがいを感じていました。

しかし、頂いたお給料を何の目的もなく使ってしまう事に何か満たされない思いを感じました。
「このお給料をもっと生きたお金にしたい」
そう思い習い始めたのが子供のころから好きな花を使ったフラワーアレンジメントでした。

何年か通う内、結婚する友人に式で使うブーケを頼まれました。
その花は私にとって人の為に作る初めての花でした。
そのブーケを手にした友人の幸せそうな笑顔を見た時、私はとても嬉しく思いました。
自分の手掛けた花がこんなに喜んでくれる。
そして花はいつも幸せの隣にあることに気づきました。

それと同時に私が今まで探し続けたものが花である事に気づきました。
この気持ちは変わることは無く、私は生花店に転職するという大きな決断をしました。
しかし両親からは猛反対されました。

母の妹夫婦は画家と織物の研究をしていました。
どんなに好きな事でも、時には行き詰ってしまう。何を創り出すことの精神的な大変さを母は近くで見てきたのでした。
更に、公務員の父は私が就職をし親としての役目を果たした安堵感もあったと思います。
今後の私の人生を思うと私の話しすら聞いてくれませんでした。

私はそんな両親を説得するためには行動しかないと思いました。
当時はインターネットが無い時代でした。
休みの日は生花店に直接足を運び求人募集を聞きました。
仕事の日は昼食を早めに切り上げ、電話ボックスの電話帳を広げ市内の生花店を「あ」行から順に電話をし求人募集を問い合わせました。

当時は、未経験者をやとってくれる生花店は無い時代。
唯一1店舗、夜の飲食店が並ぶ場所にある生花店で面接をしてくれる事になりました。
私は今までフラワーアレンジメントの教室で作った作品の写真を持って面接に行きました。
こうして、昼は事務仕事、夜は生花店で深夜まで、週末には朝方まで働く生活が始まりました。

そんな私の姿を見た母が応援してくれるようになり、父も次第に私の本気の気持ちを認め転職を許してくれました。

私はブライダルフラワーをいつか手掛けたいと夢を抱きながら経験を積んだ後
念願の横浜の某ホテルにある生花店に転職が出来るようになりました。
雑用から始まり、週末は終電始発の生活が始まりました。
そしてブーケなどのブライダルフラワーを任せてもらえるようになり、更にレストランやパーティーのアレンジ、ホテルのロビーのアレンジを任されてもらえるようになりました。

ロビーの花は3メート以上ある大きなテーブルにアレンジをしました。
この、花を初めて手掛けた時。
花や植物をダイナミックに大きく活ける事にとても感動しました。
その時の事は今でもはっきりと覚えています。
花々の伸びやかな動き、大きな花の個性を活かしてアレンジをする。
花を枠にはめない、感じたままの自由なアレンジ。
私は衝撃の様な大きな感動をしたのでした。

ホテルには国内外のお客様が多く利用されました。
ロビーの花はホテルにとってお客様をおもてなしする花です。
時にはホテルの方から厳しいご意見を頂くこともありました。
しかし、次第に、ホテルのオーナーから褒めて頂く言葉を頂けるようになり
県外からも花を見に来てくだる方もいらっしゃいました。

こうして、私は無限に広がる花の世界に魅了されていくのでした。

しかし、私はある大きな決断をしないといけない時が来ました。

それは、結婚です。

私はその頃、海外への花留学を夢見ていました。
日本より洗礼されたフラワーデザインに触れてみたい。
花の雑誌に出てくるようなエッセンスを学びたいと思っていました。

同時に結婚するか、もっと深く花の世界に行くか
私は選択をしないといけなくなりました。

何故なら私と入れ替わりで退職したある先輩の言葉が心に引っかかっていたのです。
それは「私は今、花の仕事がとても楽しい。でも、このまま続けていたらきっと今の彼より花を選んでしまう。だから今、私は彼との新しい人生を選ぶ」
とても、衝撃な一言で、まだそこまで花の魅力に気づいてなかった私には理解が出来ませんでした。
しかし、花の魅力を知り結婚適齢期を迎えた私は今後の自分の人生をどのように歩んで行くか考えるのでした。

何故なら当時の私の生活は花が一番でした。
仕事以外の時間も花のデザインを考え、学び
他店に大きな仕事が入るとタクシーで向かい手伝わせてもらったり
居残りをして練習する事もありました。
仕事以外の時間でもほとんど花に費やしていたのでした。

その為、この言葉の意味を深く理解した私はその言葉に強く共感したのでした。

私は、何年かホテルで務めた後、妊娠を機に退職しました。
そして、子育ての傍ら自宅でブーケの販売を始めました。
そんなある日、私かOLをしていた時通ったフラワー教室の先生に偶然にも再会しました。
先生は私が転職する時も背中を押してくださり、先生のキラキラした目を通してフラワーアレンジメントの楽る事が出来たそんな恩師でもありました。
そして私が今も花に携わる仕事をしている事を伝えると私にフラワー教室の講師になる事を勧めてくれました。
その時、当時習っていた時も先生がポツリとつぶやいた「あなたはフラワー講師になったらいい」と言う言葉を思い出しました。
私は何も躊躇なくフラワー教室を始める決意をしました。

その時の私は新たな花との人生に胸を弾ませ、全てが輝いで見えました。

こうして、幼稚園のお母さん方にフラワーアレンジメントのレッスンを始めるのでした。

周りの教室はコンセプトを考え、パンフレット、ロゴなどを作り、お教室を作り上げていく中、私はそこまで進む事が出来ませんでした。
何故ならそれは、私の生活の中で出来る最大限の花であり、生徒さんに楽しんでいただく為の花でした。

その為、教室の顔とであり、私にとっては相棒となるロゴを作るのは今ではと感じていたのでした。

そして、私は自分にしか作り出せない花は何か考える様になりました。
すると同時に家族からも花の仕事をいつまで続けていくのか問われるようになりました。
それは時に私から花を切り離そうとする言葉でもありました。

そんなある日、ホテルの生花店に勤務していた時の先輩から
「私、ブーケを作るより、大きい花を作る方が楽しかった」という話を聞きました。
この言葉を聞いた時、私はロビーの活け込みをした時の大きな感動が蘇ってきました。
あの躍動感のある植物。
しなやかな動きと花の表情の豊かさ。
大きなアレンジメントを活けた時の爽快感。

「この感動は、私だけでは無かったんだ」
私は大きなアレンジメントの魅力を再確信しました。

こうして生まれた大きなフラワーアレンジメント教室ブーケット パフューム。
思い返してみれば、ここまでのストーリーは全て私の子供のころから繋がっていました。

やっと出会えたこの花。
ずっと、ずっと探し求めていたこの花への情熱に、今、私は何も語らなくても家族が応援してくれています。

人生にもドラマがあるように、私達の周りにはドラマチックな世界で溢れています。
それは、私たちが生きている証拠でもあり
私達の人生を豊かに、そして色鮮やかにしてくれます。

私達のドラマチックな世界を切り取った花。
それが新しいブーケット パフュームの花です。

2019年秋。私は初めてブーケット パフュームのロゴを作りました。

そして、今、ようやくスタートラインに立てた気持ちでいます。
そしてブーケット パフュームの大きなドラマチックフラワーという舞台の上。
私の花の幕が今上がりました。

大きなドラマチックフラワーアレンジメント教室
Bouquet Perfume 相沢 知美

2009年 緑園都市自宅アトリエにてフラワー教室スタート
2019年 10月 新コース「大きなドラマチックフラワー」スタート